2013年 06月 08日
日々の事、いろいろ・・・
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先月半ばから何かと忙しくしてい間に・・・
シジュウカラが巣作りを始めたと喜んでいましたが、
5月26日以来見かけなくなりました。
近くをムクドリ?らしき大型な鳥が、シジュウカラを威嚇している姿を何度か見かけました。
それが原因かどうかわかりませんが・・・淋しく巣箱を見つめる日々です。
5月26日
孫が遊びにやってきました。
ココタンは少しずつ言葉を覚え「ジョウジョ→どうぞ」とか「オイチイー→おいしい」、
バァバ~とはっきりと言えるようになりました。
お姉ちゃんの真似をしてダンスをしたり、元気にスクスク育っています。
まだ先の事ですが、パパの転勤でちょっとお別れになりそうです。
パパだけは6月末には一足先に赴任地へ
5月28日
八ヶ岳のトレッキングから帰宅して留守中のメールのチェック、
「○○さんが大変」のメールが目に飛び込んだ、27日の朝の送信日、
○○さんとは大の仲良しのHさんからメールでした。
ご主人を亡くされ一人暮らしになった○○さん、階段から落ちて入院中との事、
夜中の出来事で朝まで気絶していたらしい、気が付きやっと自分で救急車を呼んだとの事
右手首、右腕、右踵の複雑骨折で、少なくとも一ヶ月は入院しなければならないそうです。
5月初めには、横須賀のお友達が、朝のゴミを出しで転び、両手を骨折し入院をしていました。
両手の使えない不便さを、元気でいられる有難さを話したばかりです。
いつ何時わが身にも・・・他人事とは思えない身につまされる出来事です。
5月31日
母が乳癌の手術をして丁度一年が過ぎました。
16日にPET・RI検査、CT、血液検査を済ませていたので、その結果の診察日でした。
やはり癌はリンパ節転移の疑いがあり言う事で、エコーで調べてもはっきりと影がみえ、
此処を6月末に切除することになりました。
93歳の母、頑張って欲しいものです。
6月2日
ユータン親子が久しぶりに出かけてきました。
ユータンは5月29~30日と、幼稚園のお泊り会が、奥多摩であり、一人で泊まれたと得意顔。
天気も良いし「府中市の郷土の森」へ出かけました。
プラネタリウムを久しぶりに見て、夜空を満喫・・・途中眠ってしまいましたが・・・
6月5日
母の弟、今生きていれば、91歳、
・・・寄せ書きされた日章旗が68年振りに今年の2月に、叔母の手元に戻ってきました。
昨年の秋にこの知らせがあって、やっと肉親の手元に戻ってきたのです。
母の弟は、大正11年生まれ、
昭和20年6月5日に戦死の通知を受け、この日を命日としています。
日章旗が戻った事で、身内だけの法要を行いました。
私の生まれる前の出征で、23歳の若さでの戦死でした。
詳しいことはわかりませんが、
フィリピン・レイテ島での玉砕ではないかとの事・・・
戻ってきた日章旗は、アメリカから戻されたらしいのです。
日章旗には父の名もあり、殆どの方が亡くなっている方の名前でした。
母の姉妹は女ばかりで、たった一人の男の姉弟だったのです。
・・・一番下の叔母などは、あまり記憶がないというほどでした。
シジュウカラが巣作りを始めたと喜んでいましたが、
5月26日以来見かけなくなりました。
近くをムクドリ?らしき大型な鳥が、シジュウカラを威嚇している姿を何度か見かけました。
それが原因かどうかわかりませんが・・・淋しく巣箱を見つめる日々です。
5月26日
孫が遊びにやってきました。
ココタンは少しずつ言葉を覚え「ジョウジョ→どうぞ」とか「オイチイー→おいしい」、
バァバ~とはっきりと言えるようになりました。
お姉ちゃんの真似をしてダンスをしたり、元気にスクスク育っています。
まだ先の事ですが、パパの転勤でちょっとお別れになりそうです。
パパだけは6月末には一足先に赴任地へ
5月28日
八ヶ岳のトレッキングから帰宅して留守中のメールのチェック、
「○○さんが大変」のメールが目に飛び込んだ、27日の朝の送信日、
○○さんとは大の仲良しのHさんからメールでした。
ご主人を亡くされ一人暮らしになった○○さん、階段から落ちて入院中との事、
夜中の出来事で朝まで気絶していたらしい、気が付きやっと自分で救急車を呼んだとの事
右手首、右腕、右踵の複雑骨折で、少なくとも一ヶ月は入院しなければならないそうです。
5月初めには、横須賀のお友達が、朝のゴミを出しで転び、両手を骨折し入院をしていました。
両手の使えない不便さを、元気でいられる有難さを話したばかりです。
いつ何時わが身にも・・・他人事とは思えない身につまされる出来事です。
5月31日
母が乳癌の手術をして丁度一年が過ぎました。
16日にPET・RI検査、CT、血液検査を済ませていたので、その結果の診察日でした。
やはり癌はリンパ節転移の疑いがあり言う事で、エコーで調べてもはっきりと影がみえ、
此処を6月末に切除することになりました。
93歳の母、頑張って欲しいものです。
6月2日
ユータン親子が久しぶりに出かけてきました。
ユータンは5月29~30日と、幼稚園のお泊り会が、奥多摩であり、一人で泊まれたと得意顔。
天気も良いし「府中市の郷土の森」へ出かけました。
プラネタリウムを久しぶりに見て、夜空を満喫・・・途中眠ってしまいましたが・・・
6月5日
母の弟、今生きていれば、91歳、
・・・寄せ書きされた日章旗が68年振りに今年の2月に、叔母の手元に戻ってきました。
昨年の秋にこの知らせがあって、やっと肉親の手元に戻ってきたのです。
母の弟は、大正11年生まれ、
昭和20年6月5日に戦死の通知を受け、この日を命日としています。
日章旗が戻った事で、身内だけの法要を行いました。
私の生まれる前の出征で、23歳の若さでの戦死でした。
詳しいことはわかりませんが、
フィリピン・レイテ島での玉砕ではないかとの事・・・
戻ってきた日章旗は、アメリカから戻されたらしいのです。
日章旗には父の名もあり、殆どの方が亡くなっている方の名前でした。
母の姉妹は女ばかりで、たった一人の男の姉弟だったのです。
・・・一番下の叔母などは、あまり記憶がないというほどでした。
by semineo
| 2013-06-08 00:38