2018年 04月 29日
琵琶湖周辺 新緑の旅(1)(近江八幡散策)
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4月18日~20日に2泊3日で琵琶湖周辺の旅をしてきました。
琵琶湖は修学旅行以来で、全く記憶にないの所です。
4月18日(水)
いつもの4人(サフラン会)での弥次喜多の旅の初日です。
私と友達のYさんは東京駅から、横須賀組は新横浜から、東京発
ひかり505号で米原へ、乗り換えて近江八幡へ到着、
家を出る時は大雨でしたが、静岡あたりから晴れて青空も見えてきました。
先ずは駅前の観光案内所へ、そしてバスで「まるやま水郷」へ
風が冷たく感じた日で、4人で乗った船には、半纏と湯たんぽが用意され、
此の季節は船に乗る人も少ないようで、閑散としたいましたが、新緑の美しい中を
ゆったりと・・・
「何処かへ身売りされるようね~、」
「でもこの歳では・・・姥捨山?」赤い半纏を着せられて、冗談三昧です。
水郷めぐりの後は、八幡山ロープウェイに乗り八幡山頂へ
わずか4分のロープウェイからは、近江八幡の整然とした街並がはっきりと。
標高286mの山頂には、豊臣秀次の築いた八幡山城の石垣が名残を残してました。
瑞龍寺は秀次の母が京都に建てたお寺を移築したものだそうです。
山頂をぐるっと回って琵琶湖が一望の場所へ、
日牟禮八幡宮をお参り、近江商人の信仰を集め、地元の氏神さまとして祭られている立派な神社でした。
近江八幡はお菓子の「たねや」発祥の地、バームクーヘンは食べませんでしたが、
クラブハリエでゆっくりと一休み。
城下町と近江商人
秀次は、築城とともに城下町の整備を進め、安土城下から多くの住民を移住させ、
城山の麓に琵琶湖から水を引き、八幡堀をめぐらしました。
その堀は運河の役目もして、商業が発展し、近江商人の町として江戸時代を通じて繁栄しました。
町並みやお堀には武家屋敷の面影が残り、風情あります。
街中散策では、メンタームの看板が目に留まりました、
ここは近江兄弟社の本社があり、メンタムで有名です。
近江に来たからには・・・
近江牛の寿司と近江コロッケを町のお店(千成亭)で頬張る。
そして彦根の「かんぽの宿彦根」に宿泊・・・二連泊です。
ここは外国人の宿泊がないので、ゆったりと過ごせる宿です。
天候に恵まれ、食べて、お喋りした良い一日でした。
「冊子 湖畔の声より」
近江八幡の歴史は、1585年に18歳の若さで近江43万石の領主に任ぜられた豊臣秀次が、
信長亡き後安土城下の民を近江八幡に移し城下町を築いた事に始まる。
秀次は城の防御である八幡掘と琵琶湖とをつなぎ、湖上を往来する船を城下町に寄港させる事で、
人・物・情報を集め、さらに自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行。
わずか5年の八幡山城在城の間に、商いのまちとしての繁栄の基盤を築き上げた。
近江商人は天秤棒を肩に担いで全国を行脚し、北海道から九州、更にはベトナムやタイまで進出。
「買い手良し、売り手良し、世間良し」という三方良しの理念は、400年経った今も通じる普遍的な
商売道徳で、勤勉と節約、奉仕の精神が近江商人の心と粋だそうです。
近江商人の会社は全国に420万社存在するそうですが、身近な商品の「メンタム」や、
美味しいお菓子の「たねや」・・・大丸、高島屋、トヨタ自動車、日本生命、武田薬品・・・
名だたる企業が近江出身の方が創始者だったのですね。・・・素晴らしい!
琵琶湖は修学旅行以来で、全く記憶にないの所です。
4月18日(水)
いつもの4人(サフラン会)での弥次喜多の旅の初日です。
私と友達のYさんは東京駅から、横須賀組は新横浜から、東京発
ひかり505号で米原へ、乗り換えて近江八幡へ到着、
家を出る時は大雨でしたが、静岡あたりから晴れて青空も見えてきました。
風が冷たく感じた日で、4人で乗った船には、半纏と湯たんぽが用意され、
此の季節は船に乗る人も少ないようで、閑散としたいましたが、新緑の美しい中を
ゆったりと・・・
「何処かへ身売りされるようね~、」
「でもこの歳では・・・姥捨山?」赤い半纏を着せられて、冗談三昧です。
わずか4分のロープウェイからは、近江八幡の整然とした街並がはっきりと。
標高286mの山頂には、豊臣秀次の築いた八幡山城の石垣が名残を残してました。
瑞龍寺は秀次の母が京都に建てたお寺を移築したものだそうです。
山頂をぐるっと回って琵琶湖が一望の場所へ、
クラブハリエでゆっくりと一休み。
秀次は、築城とともに城下町の整備を進め、安土城下から多くの住民を移住させ、
城山の麓に琵琶湖から水を引き、八幡堀をめぐらしました。
その堀は運河の役目もして、商業が発展し、近江商人の町として江戸時代を通じて繁栄しました。
町並みやお堀には武家屋敷の面影が残り、風情あります。
街中散策では、メンタームの看板が目に留まりました、
ここは近江兄弟社の本社があり、メンタムで有名です。
近江に来たからには・・・
近江牛の寿司と近江コロッケを町のお店(千成亭)で頬張る。
ここは外国人の宿泊がないので、ゆったりと過ごせる宿です。
「冊子 湖畔の声より」
近江八幡の歴史は、1585年に18歳の若さで近江43万石の領主に任ぜられた豊臣秀次が、
信長亡き後安土城下の民を近江八幡に移し城下町を築いた事に始まる。
秀次は城の防御である八幡掘と琵琶湖とをつなぎ、湖上を往来する船を城下町に寄港させる事で、
人・物・情報を集め、さらに自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座を施行。
わずか5年の八幡山城在城の間に、商いのまちとしての繁栄の基盤を築き上げた。
近江商人は天秤棒を肩に担いで全国を行脚し、北海道から九州、更にはベトナムやタイまで進出。
「買い手良し、売り手良し、世間良し」という三方良しの理念は、400年経った今も通じる普遍的な
商売道徳で、勤勉と節約、奉仕の精神が近江商人の心と粋だそうです。
近江商人の会社は全国に420万社存在するそうですが、身近な商品の「メンタム」や、
美味しいお菓子の「たねや」・・・大丸、高島屋、トヨタ自動車、日本生命、武田薬品・・・
名だたる企業が近江出身の方が創始者だったのですね。・・・素晴らしい!
by semineo
| 2018-04-29 23:00