豪徳寺と松陰神社をウォーキング
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11月11日(日)
天気も良く何処かを歩きたい気分、そんな時、直ぐにOKしてくれる友達と二人で
以前から一度行って見たいと思っていた、豪徳寺へ行って来ました。
(今年の4月に琵琶湖周辺を旅行し彦根城などに行った事もあり・・・)
先ずは久しぶりに乗った「東急世田谷線」二両編成のカラフルな色の路面電車。
山下駅で下車し商店街を通り抜け豪徳寺へ
豪徳寺は彦根藩主井伊家の墓所(2・6・9・10・13・14代)
江戸で亡くなった藩主やその家族、藩士も葬られている。
寛永十年(1633)頃世田谷が井伊家所領となり、領内の弘徳院が菩提寺に取り立てられたが、
二代藩主直孝の没後、その法号(久昌院殿豪徳天英大居士)にちなみ豪徳寺と改められた。
桜田門外の変で水戸藩士により殺された幕末の大老井伊直弼(13代)の墓石もあります。
紅葉にはまだ少し早く、一部のモミジが色づいていました、
参道は立派な黒松の並木が通りを覆うように続いています。
山門をくぐると目の前にはどっしりとした狛犬の香炉、
香炉には井伊家の丸に橘の花が描かれた橘紋が輝いています。
そして右手にも立派な三重塔、ボランティアの方が一生懸命説明してくれました。
三重塔には生きているような猫がいる事や、井伊家の菩提寺の話も詳しく話してくれました。
三重塔に十二支の中に招き猫も加えられいました。
更に境内には仏殿には「三世仏」と書かれた青色文字、
中には現在・過去・未来の三世の意味をした釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩が安置されています。
その横に招福殿(招き猫)、豪徳寺は招き猫の寺でも知られ、奉納された招き猫の数には驚きです。
井伊家二代藩主直孝が鷹狩りの折、住職の愛猫「たま」の招きで落雷の難を逃れたという伝説があり、
幸運を招く「招き猫」の元祖とされ、商売繁盛・家内安産・心願成就を願う参詣者が多いそうです。
堂内には招福観音菩薩立像が安置されている。
法堂・梵鐘なども境内にあり見どころはいっぱいです。(開祖堂や井伊直弼の茶室などは未公開)
梵鐘は1679年の鋳造で戦争中の鉄の供出を免れ、美術的にも高い評価があるそうです。
本堂の庭に咲いていた菊
豪徳寺を出て世田谷八幡宮から万葉の小路をウォーキングし、
再び世田谷線に乗り松陰神社へ向かいました。
松陰神社の参道で、おろしハンバーグのランチをし、商店街を覗きながら神社へ
七五三の参拝者で賑わっていました。この時期ならではの光景です。(遠慮がちに撮りました)
吉田松陰は幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育した、安政の大獄で連座し江戸の伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死された。
門下生でった高杉晋作、伊藤博文などによって、当時長州毛利藩藩主毛利大善夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬された。
明治15年(1882)11月松陰の門下の人々が、墓畔に社を築いて松陰の御霊を祀り神社が創建された。(神社の説明より)
文久3年(1863)伊藤博文、高杉晋作など他数名により、千住小塚原回向院からこの地に改葬された。
豪徳寺と松陰神社・・・安政の大獄を行った井伊直弼
安政の大獄で処刑された吉田松陰が近くの神社と寺に埋葬されているとは・・・
歴史を楽しめるウォーキング、良い一日になりました。
豪徳寺、私は地元なので行ったことがあります。
我家にも、招き猫2匹あり福が来てくれるように飾ってあります。
でも、御寺の由来等はすっかり忘れていました。
丁寧に調べて下さったお蔭で、由緒ある御寺だったのだと再認識しました。
松陰神社は、世田谷区役所など、色々な役所があるので、近くまで行っても、
行った記憶がありません。
semineoさんのお蔭で学ばせていただきました。ありがとう!
今の時期ならこそです
お寺回りはきっと御利益ありです
招き猫の元祖のお寺 すごい数の招き猫も御利益いっぱいです
初めてのところって、なかなか足が向かずにいます。
こうして紹介していただいて嬉しく思います。
こんばんは
東京のお住いは豪徳寺のお近くなのですね~。
今年 近江八幡に旅行をした時、彦根城にも行きました。
豪徳寺が井伊家ゆかりの地とわかりましたが、
なかなか行く機会もなくて今になってしまいました。
招き猫の由来もわかり、楽しめるお寺とも知りました。
これからが紅葉を楽しめるようです。
こんばんは
平日でしたが、七五三でお参りをする可愛い子供さんが沢山いました。
孫達にも、あんな時があったな~と微笑ましく見ていました。
お寺回りと招き猫で、ご利益あるといいのですが・・・・
こんばんは
豪徳寺は、歴史に興味あると、楽しいお寺ですよ。
東急世田谷線は景色を見ながら乗るのも楽しいですから、
是非足を運んでくださいね。
次女が一時期三軒茶屋に住んでおりましたので
何回か乗りましたが、そお頃はまだ古い電車でした。
あの安政の大獄では、若い優秀な人材が処刑されました。
福井藩の橋本佐内もです。
実家の近くに彼の生家跡の碑が立っていました。
あの人たちが生きていたら、もう少し日本が違っていたかもしれませんね。
世田谷線では「ボロ市」も有名ですね。
こんばんは
Yさんとご一緒してきました。
世田谷線は昔と比べたら綺麗になりましたね、
以前もそうでしたが乗る時に運賃の支払いにまごつきます。
ご実家が橋本佐内のお近くですか、
あの安政の大獄で多くの人達が弾圧されました。
大老の井伊直弼の命令だったようですが、桜田門外の変で収束でしたね。
ただきました、よろしければご覧下さいませ。
日本ブラリ
こんばんは
いつも素敵な写真を見せて頂きありがとうございます。
こんばんは
此方こそ 楽しいひと時をありがとうございました。
しまいました。大変、勝手なお願いですが、もう一度投稿いただけませんか。
お忙しいと存じますが何卒よろしくお願い申し上げます。本当に身勝手なお願いですがよろしくお願い申し上げます。
写真載せましたoよろしくお願い申し上げます・
三軒茶屋は、よく通過しますが、世田谷線はしばらく乗車していません。
以前世田谷区に戸籍があり用事で世田谷区役所へ行ったり、
「ボロ市」へ出かけたりで乗っています。
因みに今年のボロ市は12月15日~16日です。
高幡不動と昭和記念公園の散策記と写真も拝見しました。
しまいました。大変、勝手なお願いですが、もう一度投稿いただけませんか。
お忙しいと存じますが何卒よろしくお願い申し上げます。本当に身勝手なお願いですがよろしくお願い申し上げます。
こんばんは
ちょっと忙しくしていて遅い返信ですみません
豪徳寺へは友達を案内する予定なので、下見を兼ねて行って来ました。
私は京王線利用なのですが、下高井戸からの世田谷線は久しぶりでした。
ボロ市、行って見たいですね。
三脚など荷物がおおく持ち運びに大変だった当時のことを思い出しました。
次回は“奈良の石仏”写真の掲載を始めようと思います。しかしながら京都の石仏同様あまりに写真も多く、また撮影場所、石仏の名前など記憶をたどり、書籍を調べながら少しずつ始めたいと思いますので、また時間がかかります。
完成までお時間をいただきたいので申し訳ありませんがしばらくお休みしたいと思っております。
日本ブラリ