八王子城跡へ
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今日で11月も終わり、明日からは師走です。
何となく落ち着かない日々を過ごしている今日この頃です。
11月22日の夕方6時過ぎに従弟の訃報が入り、急ぎ叔母の家に
叔母は母の妹で、8月に長男が旅立ち、今度は次男が亡くなりました。
叔母自身も体調を崩し治療中の身体には酷すぎる知らせだったと思います。
従弟は千葉で暮らし、定年を迎えたばかりで、来年の3月までには叔母と一緒に暮らす、と
兄の納骨式の折に言って叔母を喜ばせていたのを思い出します・・・・・
24・25日と叔母の代わりに従兄夫婦たちと千葉に行って来ました。
兄弟そろって心筋梗塞で、あっという間に逝ってしまいました。
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歩く会で八王子城跡へ
歩く会のお仲間6名で八王子城跡を歩きました。
今回、夫は幹事・私はそのサブでしたので、先月(10/15)に一度下見をしておきました。
10時に高尾駅北口に集合→バスで8分程乗り八王子城跡入口で下車→
ガイダンス施設で城跡のビデオ・発掘物等を見る→管理棟でガイドさんと待ち合わせ
→八王子城の説明を聞く→散策開始 アシダ曲輪・土塁・竪堀の説明→大手門跡→
古道→曳橋・石垣の説明→御主殿跡の説明→滝の説明→昼食→本丸跡まで登山→
旧道で下山→高尾駅で打ち上げ→解散。
丁度紅葉の真っ只中、天気も良くて11月にしては暖かな日に生りました。
八王子城は小田原に本拠を置いた小田原北条氏の三代目氏康の三男「北条氏照が1582年
頃築城した山城」で、豊臣秀吉の関東制圧の一環で1590年前田利家、上杉景勝軍によって落城した。
この戦国の歴史は地元でも広く知られていないようで、整備中の城跡を散策です。
今回はボランティアの方に御主殿(城主の居館エリア)跡の案内をお願いしました。
地形に合わせた竪堀や土塁は敵の移動をし難くするための工夫がなされ、
御主殿に近いアシダ曲輪は有力な家臣の屋敷跡と考えられるなどの説明を聞き、
戦国歴史の一端を知る事ができました。
古道から曳橋へ、
曳橋は古道から御主殿へ渡る橋で、橋の土台が残っていただけなので、
どのような構造の橋が架けられていたのかわからない、
現在の橋は当時の道筋を再現するために架けられたそうで、立派な橋です。
山城らしく、城の出入り口(虎口)は山から産出される砂岩が敷石や石垣の全面に使われている。
御主殿から曳橋を眺めると城への高さがわかります。
御主殿跡ではガイドさんから八王子城の丁寧な説明を聞き、
敵の攻撃を阻止するための工夫を凝らした城の、その能力と技術に驚かされました。
安土城が見本になっているそうです。
御主殿跡には池を中心とした庭園も跡も見つかったそうですが、
今は60センチ下に埋めてしまい、レプリカの石が並んでいます。(ちょっとガッカリ!)
また、戦時中は芋畑にも使われた場所とか!
御主殿跡を見学し次は関東の心霊スポットと言われている御主殿の滝へ、
落城の際婦女子や武将は自刃し身を投げた滝は三日三晩赤く染まったとの伝えがある。
下見の時には水も豊富で滝も流れていましたが、この日は水のない滝でした。
圏央道建設の影響で、水の量が少なくなってしまったそうです。
ガイドさんの説明はここまでしたが、
詳しい説明を聞きながら、お仲間も遠き過去の歴史を知る事ができたのではと思います。
各自用意してきたお弁当でお昼に、
昼食後は本丸跡までの山登りです。
行きは階段と急坂の多い道を上りました
途中には本丸の守備をしていた曲輪(金子曲輪・小宮曲輪・松木曲輪)があり、
敵の侵入を防ぐ工夫がされ、城攻めの際には奮闘したが、多勢に無勢では防げなかった。
本丸跡は標高445M、甲冑を身に着けた武将たちの上り下りを思うと、その逞しさが偲ばれます。
私達も頑張って予定の40分で本丸跡へ到着。
予定通りの時間で居酒屋で「お疲れさま~~~」